【襷インタビュー Vol.2】Mr. Robin Lewis 〜世界中での災害支援。自分と目の前の誰かを輝かせる男〜


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TASUKIについて

SHIMOTAKUを面白いと感じてくれた人が、さらに面白いと思う人を繋いでいくプロジェクトです。

ルールは3つだけ

その1:次の人にいきなりぶっこむこと(「良いよ」と快諾してくれる人を紹介する)

その2:TASUKIを受けた人がRespectする人だけが、次のインタビュー対象になること

その3:当人に全力の笑顔を写真にとってもらい、記事に掲載させてもらうこと

出来るだけ長く続けて節目に世界のどこかで皆様を招待してリアルにお話してみたいな。と夢見てます。

読者の方には「今日はどんな人が来るんだろう?」と楽しみにして頂けたなら幸いです。

 

今回のゲスト

「襷〜TASUKI〜第2弾」は、前回のKatsuya Fujiiさんからの紹介で、Robin Lewisさんにお越し頂きました。

イギリス人と日本人のハーフ。今は世界を股にかけてNGO職員として働く彼が見ている未来とは。そんな想いで執筆しました。是非、お楽しみ下さい。

http://robin-lewis.com/

しもたく

ズズズ、ガガガ…。あれ、なんか接続悪いな…。インターネットが遅くて映像をつけると駄目かも知れないですね。

 

ロビン

No problem. では、声だけで行きましょう!

 

しもたく

日本語バッチリですね!

 

ロビン

イギリスと日本のハーフ、生まれは東京、育ちは香港とイギリスなので。日本語は17歳まで上手くなかったけど、勉強して上手になってきましたよ!

 

しもたく

十分です。それでは、早速はじめましょう!

 

今回のいきさつについて

 実は2時間前にKatsuyaと話していたので、なんとなく理解しているつもりです。そういえば、KatsuyaとTakuyaさんは、逢ってないんですよね?面白いですね〜。

 

紹介者との出逢いは?

 Katsuyaに出逢ったのは、エイセフ(ASEF)という財団(Asia Europe Foundation)での活動が最初です。そういえば拠点はシンガポールにありますよ。ここはざっくり言うと、アジアとヨーロッパの国々をもっと仲良くするといいますか。政府のCulture Exchangeや、Conference、Exhibition等を通してアジアとヨーロッパの関係性を強くするという財団です。

 基本的にはシニア向けのプログラムが多かったんですが、11月に若者向けの会議がありまして。それが、ASEFのYoung Leaders Summitの会議でした。世界51カ国から100人以上のポテンシャルを持っている若者を呼んできて会議しましょうというプログラムです。例えば、Youth EmploymentやEntrepreneurshipについて会議する。その時初めて、ルクセンブルグで逢って凄く仲良くなりました。彼とのSyncポイントは二人共変だからなのかなと思います(笑)彼はSpainやアメリカに住んで英語もペラペラだし、Way of Thinking(考え方)も似ているっていうんですかね。なんか、完全な日本人じゃない。Outsiderな感じが凄く良く、加えて二人共起業に興味があるということで盛り上がりました。日本に住んでいても、日本人と見られないような、そういう人は相当面白い。なので、他の国の人ともYoung Leadership Summitでは沢山逢いましたが、彼との出逢いは重要でしたね。

Aceh

 

それじゃ、生い立ちを教えて下さい

 僕はイギリスと日本のハーフです。Middleネームは、Takashi(敬)なんですけど、お母さんの旧姓はEndoなので、たまに真面目な顔して「えんどうたかしです」と自己紹介すると滑り知らずで良いですよ。(笑)

 日本で生まれて、3歳くらいまで日本にいました。その後イギリスに移って、18歳までは日本とイギリスと香港を行ったり来たりする生活でしたね。

 18歳からはスコットランドの(エジンバラ)大学で。その時は結構Londonと東京がHomeと感じていたので、あえて遠くのエジンバラに行きました。大学に入ったらラグビー漬けだったんですけど、ラグビーカルチャーがとっても大好きで。ただ、中学や高校でやっていた様な本当に楽しいチームワークラグビーではなかったので2年目でやめてしまいました。その後は、空手とかボクシングとか、色々試してましたね。

 

Outdoor Adventureの魅力

 実はOutdoor Adventureが凄く好きで、例えばトルコで3週間トレッキングしたりとか、モロッコの奥地に行く!とかにはまっていました。その流れで、大学3年生の時にエジンバラからロンドンまで歩く事になります。所謂ファンドレイズ的なイベントを主催して、僕と友達でやることになって。「すっごい沢山、人が集まるかな!」と思ってたんですが、結局誰も来なくて2人でやることになりました。(笑)Yorkまで歩いていた時に、友達の膝が悪くなっちゃったので、そこからは単独歩行ですね。総距離で700km近く歩いて、ロンドンまで到着して。それがとってもいい経験でした。

 ルールとしては、ヒッチハイクは駄目。それから、屋内に泊まるのも駄目。それを3月(冬)からやってて、外むちゃくちゃ寒いんですよね(笑)しかも、夏用のテントとSleeping Bag(寝袋)しか持ってなかったので、Takuyaさんわかると思うんですけど、Roundabout(イギリスには信号の交差点ではなく、このような円形の交差点がある)のどまんなかで寝泊まりしたこともありますよ。

 警察には一度だけ止められたことがあります。なにか、危ない公園で寝ようとしていたらしくて、正しく注意してもらいました。良い方に当たりましたね。(笑)

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大学時代

 大学ではInternational Businessを専攻していました。周りはMarketingやFinanceを勉強していたんですが、僕は当時からCSRを主にやっていて、Philosophy of Businessなどが楽しかったですね。1年生、2年生の時は正直あまり勉強していなかったんですけど、3年生からは頑張りましたね!

 その後、留学で日本に来るチャンスがあって。慶応の三田キャンパスに1年間ました。その1年間は最高だったなぁ。出逢いとか経験とか。凄く良かったこととしては、慶応大学で途上国の開発(International Development)の授業があったんですよ。世界で様々な問題があるんだな、今後はこういうことしていきたいなと思ったのは、その教授のお陰ですね。卒業後、一時期一緒にお仕事もさせて頂きましたし、国家間の情勢や途上国の問題にも興味を持つことが出来ました。慶応で一緒だったメンバーもすごい良い方達でしたし。

 

スコットランドに帰国する。そして、あの日が来る。

 今後、キャリアとして何をするかはその時は分かっていなくて。4年生はとりあえずスコットランドに帰りました。卒論はとっても大変だったんですけど、やっと書き終わったタイミングでもある卒業1ヶ月前(まさに取材日でもある今日)に、あの出来事が起こったんですよね。

 大震災が起きてから、自分の家族が日本にいて。凄く心配になって、4月に日本に直ぐ帰ってきていました。それからは、東北で一般ボランティアとして手伝っていて。福島、岩手、宮城と色んな所を転々としてましたね。

 約8ヶ月間、その東北での出逢いや経験は自分の人生に凄く影響しています。今まさに災害支援や防災の仕事をしている理由は、明らかにその影響が多いと思う。

 2011年夏に石巻にいった時に、ピースボートに出逢いました。ちょうど通訳を探している。という話があって、通訳で船に乗るというのは面白いと思ったんですが、その当時は日本語がまだまだでいけないな。と思いました。そこから、日本語を習得するためにまた仕事を始めることにしました。

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念願のピースボートへ

 2012年9月に船に乗りはじめて、16カ国くらい回って。その3ヶ月は最高の経験でしたね。ピースボートの通訳としてスタートしましたが、行った所も凄く良かった(シンガポール、インド、エジプト、ギリシャ、フランス、スペイン、ジャマイカ、メキシコ、コロンビアなど)。経験も楽しかったし、学びが多かったです。そこで見た世界は、慶応大学の授業であったように、課題だらけだなと思いました。その時に、自分はPositiveなImpactを与える為に何かしようと決意しましたね。

 

アメリカでの災害支援経験

 ピースボートから戻ってきたのは11月の終わりくらいでしたが、帰ってきた同じ週に今度はNYでハリケーン・サンディの災害がありました。特に仕事など決まっていなかったこともあって「NYに行ける?」と言われまして。「1、2週間でいいから行って下さい!」と言われていたんですが、結局5ヶ月位向こうにいて、災害支援の現場のコーディネーターをやっていましたね。

 Queensという場所を拠点として、そこで殆どの時間を過ごしていい経験になりました。NYは世界で一番有名な都市だったのに、災害があるとこれほど困ることがあると想像もしてなかったですね。マンハッタンはまだ大丈夫だったんですけど、さらに貧困地に行くと本当に困っている人が多かった。貧富の差をまざまざと感じて、これは大きな問題があるな。と思いました。

 滞在中は、ホームレスシェルターの隣でずっと寝ていました。面白い話でいくと、あの高級住宅街のUpper East Sideのホームレスシェルターにいたんですよ。「どこに住んでるの?」と聞かれて「Upper East Sideです」と答えると「Rich!」みたいな返答が来るんですけど、ホームレスです。みたいな(笑)そういう経験もありましたね。余談ですが、ハリケーンが起きた後にカビが色んな所に生えて健康的に問題があることが多くて。その時はカビマニアにもなりましたよ!(笑)

 

NGOへの就職

 2013年の4月にNYの件が終わって、その後日本に帰ってきました。仕事も特に決めてなかったので(それこそBloombergとかを見てましたね)どうしようかなと思っていたんですが、丁度「ピースボートの国際事業担当者ポジションが出来た!」とピンポイントにオファーがあって。すっごい縁ですね。結構Crazyだと思います。

 ま、半年くらい頑張ろう!と思っていたんですけど。結局2016年の今の今までまだこれをやっています。国際事業の担当者として基本的には災害支援、緊急援助と防災周りを見ています。仕事では日本ベースではあるんですけど、海外のPJTを見る機会が多いですね。例えばネパールの地震の後に、現場に行ってカトマンドズの地震の歳には人道支援のコーディネートを行ったり。はたまた、バヌアツでサイクロンの後に、援助をやっていたりもしました。災害援助を運営する側や、彼らへのトレーニングを実行したり、また防災のイベントなども行っています。

 トレーニングの分野では国連が運営する国際防災戦略(通称ISDR)という機関があるんですが、実際にその機関とパートナーシップを組んでYoung Professionalの人材育成をしたり、そのプログラムをマネジメントしてたりしますね。丁度、去年の8月にはシンガポールにも行ってましたし、アフリカやアジアでそういうプログラムを運営していたんですけど、国連は知識も豊富でプロジェクト自体もとても楽しかったです。

Tohoku

災害地で何を想うのか

(しもたく)お父さんとか、お母さんとか心配したりしないですか?

 

 基本、両親はあまり心配していないですね。やりたいことをやっているので応援してくれていますし、寧ろポジティブです。今まで25カ国に渡って平和構築や災害支援をやってきましたが、世界で全く違うところにいるのに、同じような課題に直面している人が多いなと感じています。一昨年、モザンビークのスラム街に行って、洪水でめちゃくちゃ困っている人が多かったんですけれども。実際にはその光景は、バヌアツのサイクロンの時と同じような状態と課題を抱えていました。

 ネガティブなところで言うと、例えば「家がなくなったらどうするのか?」ということだったり。実際にこの状態までの災害になると、人は1人(もしくは自分たちの家族)だけでは生きていくこと以外を選ぶ必要性が出てきます。コミュニティが凄いなと感じさせられるのは「一緒に頑張って立て直す。」というプロセスを踏むことです。シンガポールも東京もそうだと思いますが、近所の人、隣の人、誰が住んでいるかも知らないし、挨拶しても返ってこない。これが普通だと思うんですよね。ところが、災害が起きるとコミュニティが改めて形成される。そして、そのBondingはとても強くなる、と日々感じています。

 

生存者の方が伝えてくれるのは、「ものが全て無くなって、何が一番大事なのか?」というSimpleな問いが明らかになったことです。

 

家族が大丈夫で、本当に良かった

 

Capitalist Societyの中で一番大事なのか?今の世代を生きるにはどういう力が必要なのか?

そういった色んな気付きが最近よくありましたね。

 

今後の生き方

 今まで色んな縁やチャンスがあって、とってもタイミングが良かったということもあるけれど、20代のキーワードはAdventureだと思っています。あと3年くらいあるですけど、出来るだけ多くの経験をしたいと思っていますね。本当にこの仕事は大変だと思うし、世の中生きていくには収入も大切だと思うんですけど、それよりも経験と社会に与えるImpactはもっと大切だと僕は思います。

 どんな場所に行っても、こういった課題は共通する上に、必ずどこでも同じような問題が起こっているんです。その時、世界が繋がっているな。ということをとても感じています。ですので、今後絶対にやりたいなと思っていることは、自分が経験をしていることやスキルから社会を変えたいし、ポジティブなインパクトを創る。ということですね。

 最近だと、気候変動に関しては強い気持ちを持っています。Climate Changeに関するパリの会議に出て、世界政府がこの大きな問題に対して何かをしようという話があった時に、世界として、人間として、Climate Changeに本気で取り組まないと私達の人生に対して大きな責任を背負うこになると感じました。これは今を生きる世代に対してのBiggest Challengeだと思っていますし、この課題を解決する事ができれば It’s really make an impact.だと思いますね。

 また、将来的には社会的企業を創りたいと考えています。今はNGOの職員として働いていますが多くのNGOの弱点はお金であると思っています。寄付金とか助成金とか。社会的企業を通して、Sustainableなビジネスモデルを実現しようと考えていますね。

 日本ではNGOをやっている人はPassionで生きている人が多いです。その代わりに、信じているMissionがあって、本気でそれをやりたいと思っている人も多いです。そういった人達がもっと活躍出来て誇りを持てる時代が来れば良いなと思いますね。

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しもたくインタビュー後記

 まず最初に、Robinとの会話は楽しくてあっという間の出来事でした。それは彼が「何をしているか?」ではなく、彼が「何故、今こういった活動をしているか?」という最も大切なWhyを信じて実行しているからだと思います。

 僕がイギリスで活動していた時のこと。あの国で得られた経験として「とっても良かった」と今でも感じていることは「自分の仕事や生き方に、誇りを持って生きても良いよ」というApprovalを得られたことです。これは他の国の人、もしくは他の方にとっては当たり前でそれほど大切なことではないのかも知れません。しかし、当時の僕にとっては何よりも重要な事でした。そして、ライフスタイルの価値は「お金で決まるのではなく、その人自身の満足度で決まる」という大切なことを学んだと思っています。それは、画家であれ、金融マンであれ、大富豪であれ関係なく「俺は(私は)今幸せです。何故なら…」を心の底からそう語れるかどうかだからです。

 Robinは日本とイギリスのハーフだからそういったマインドを持っているんだ。確かにそうかも知れません。が、そんな人はごまんといます。重要な事は自分の枠から一歩外に出て(旅に出て)新しい何か(自分自身、他人、モノ、景色)に出逢いその枠を凹ませたり膨らませたりしながら、自分の幅を広げることだと僕は思います。お話しながらそういった原点を改めて思い出させてくれたRobinには感謝しかありません。きっと、今晩逢おうとも、5年後10年後に逢おうとも昨日逢ったかの様に語ることが出来るでしょう。

 彼にActionを取りたい方がいらっしゃれば、是非右下のメッセージORチャットより一声お掛け下さい。