洋上を漂う船の中で、ふと今を想う


昔にくらべて随分と簡単に旅が出来るようになりました。今僕は、四国と九州を結ぶフェリー船でこの記事を書いています。

シンガポールを離れ、既に20日が過ぎました。大阪の実家、祖父母の家がある福井、また母の還暦を祝うため訪れたニュージーランド、そして人生初めての九州上陸。と目まぐるしく、どこか「止まりたくない」という焦りと共に日々動き続けております。

APUの外観。このキャンパスに50カ国を超える国々から学生と教授が切磋琢磨しているのです。
APUの外観。このキャンパスに50カ国を超える国々から学生と教授が切磋琢磨しているのです。

母校である立命館が運営するAPU(Asia Pacific Uni)では、JACという団体の企画にて20名程の大学生の方々に向けて、自分のキャリアを振り返り、何を想い、何をしてきたか。というお話をする機会を頂きました。これもまた、自分自身の大変素敵な経験として忘れない想い出になるでしょうし、本当にここで出逢った学生の方々にいつか「あの時、あんな話してたな」と一秒でも思い出してくれるような価値があったら良いな。と思います。

 

ただ、温かい。だけで、何が悪い。

僕には大切な友人家族が、たまたま九州から海を渡った四国に居ます。愛媛松山は伊予北条という、とても素敵な小さな町です。宿泊先からは海が見え、また美味しい魚やお酒が飲めるこの土地には、観光客だらけになっていない魅力がふんだんに詰まっています。ここの魅力を知ってほしい。と想うと同時に、「誰にも知られないで欲しい」とも願ってしまう町です。

これ程まで素直で笑顔にさせてくれる人間は子供しかいません。
これ程まで素直で笑顔にさせてくれる人間は、世の中に子供しかいません。

別府から八幡浜に渡るにはフェリーで約2時間、ひたすらに洋上を漂う必要があります。そして、八幡浜から北条までは、かの坊っちゃんで有名な松山を越え(実際、今回は立ち寄ることもありませんでした)更に今治方面へ30分程車を走らせねばなりません。睡眠時間をのぞくと、滞在時間は約半日です。それだけでも、本当にわざわざ来るべき意味があるのだと、毎回感じさせられます。「何をするの?」という質問には、「何もしないんですよ。」と答えることにしようと思います。

 

圧倒感のある自然自体がエナジー

10代の終わりに差し掛かった頃、僕は初めてカナダのエドモントンという場所へ行きました。正確にはそこから約西へ1時間ドライブした先にある、名前も覚えていない村に行ったのです。周りには牧草が広がるばかりで、何もありません。そこには本当に数えるほどの人間しかおらず、また彼らが小さいコミュニティの中で助け合いながら生きているのだな。という漠然とした実感がありました。晴れた日の夜には、満天の星空が見え、パソコンやゲームのやり過ぎで悪くなった自分の視力を恨んだ程です。デジタルカメラも当時は高性能ではなかったので、折角の星空をデータとして保存することも出来ませんでした。でも、心のシャッターは生きているうちの中でも珍しいくらい数多く押していたんじゃないかと思います。それ程までに感動し、またこの瞬間を独り占めしたい。同時に、誰かにも知ってもらいたい。という衝動に駆られたのです。

ただ広がり続ける大地を見たときに、人間の無意味さに気付きます。
ただ広がり続ける大地を見たときに、人間の無意味さに気付きます

大自然が与えてくれたパワーは、その後僕自身の行動となって世界にアウトプットされました。どうしても我慢ならず、予定していた1ヶ月の牧場滞在を辞め、ロッキーマウンテンを南から北へ、旅をしたくなったのです。同じくボランティアとして牧場で働いていた他のアジアの友人からの薦めがあったとはいえ、誰も知る人の居ないカナダの中、また英語が話せない状況の中で、先も考えずただ足を動かして「何か」を見つけようとしている自分がそこに居ました。結果、それは「正解」でした。「何か」を見つけたんではなく、「何かを見つけるために動いた」事自体が正しかった。と今でも思っています。

日本では見ることが出来ないであろう大自然の中で、僕は大変ちっぽけである自分とその可能性に気づきました。動けばなんとかなるかも知れない。なんでも出来るかも知れない。振られても、振られても、アクションを繰り返すことへの抵抗がなくなりました。思えばそれこそが僕自身の「グローバル」であり、「コミュニケーション」であり、また「パッション」であるということなのです。

 

 

世界は手の届く範囲にある。なのに、何故、行動しない。

昔大好きだったとある漫画の中に、このようなシーンが映し出されていました。

 

ジョッキーは鞭一本で世界中どこでも飛べる。

 

「フリーランス」や、「ノマド」といったような肩書ではなく、こんな男になれたら格好良いな。と思いました。そして、旅の報告を、大切な友や家族へするのです。それは体系化されたリア充のPRではなく、本質的な魂の叫びや、その場で留まっていただけでは決して得られなかったであろう経験や気付きという価値の共有なのだと思います。

夕陽を背に旅立つ船には、なんとも言えない感動があります。遅い。でも着実に前に進んでいる、その乗り物にまで。
夕陽を背に旅立つ船には、なんとも言えない感動があります。遅い。でも着実に前に進んでいる。ということ自体が、なんか良い。

思い願うと同時に、それを叶える為に必要なものを手に入れて、旅に出る。そんなことが昔はもっと難しく、今ではもっと易しく簡単になりました。それは「英語」だったり、「キャリア」だったり、「お金」だったり。もっというと「車の免許」だったりするのかも知れません。更には、仕事や旅行でヨーロッパやアジアを飛び回ることで、日本全国が近いと感じるようになりました。小さい頃は、近所の駄菓子屋に行くことでさえ、大きな旅だったのに。今はどこにでも行けるんじゃないか。いや、行くべきじゃないか。とさえ感じるのです。

 

旅をするとわかる「世界」という広大なフィールドの存在感

今回のお休みと、そして旅の中で、僕は更に「コミュニケーション」というものについて興味が湧き、更にその本質に近づき、体得し、実践していきたい。と強く感じるようになりました。

それは単に「話をする」という行動を越え、また「ボディーランゲージ」という形態を越え

 

僕と接する中で、その背後に大いなる自然を感じて欲しい

 

と、思ったりするのです。

ある人には「太陽」であり、ある人には「月」でありたい。それは人という単位を越え、「動物や自然と調和する何か」という存在価値でありたい。と願うようになりました。

船の中って、なんでこんなにテンション上がっちゃうんですかね。思わずジャンプしてしまったんです。それは、旅路の中で出逢う新しい友達や自分自身に気づけた時の気持ちとよく似ています。
船の中って、なんでこんなにテンション上がっちゃうんですかね。思わずジャンプしてしまったんです。それは、旅路の中で出逢う新しい友達や自分自身に気づけた時の気持ちとよく似ています。

ということで、今後「将来何したいんですか?」と聞かれたときには「何か、になりたい」と答えるかも知れません。よりワケがわからない方向性になってしまったことをご容赦下さい。

さて、船が別府に着きましたので、そろそろ筆を置きたいと思います。

しもたく