【襷インタビュー Vol.3】Ms. Kay Makishi 〜国境と言語の壁を超え、世界中を笑顔にする女性〜


Drawing

TASUKIについて

SHIMOTAKUを面白いと感じてくれた人が、さらに面白いと思う人を繋いでいくプロジェクトです。

ルールは3つだけ

その1:次の人にいきなりぶっこむこと(「良いよ」と快諾してくれる人を紹介する)

その2:TASUKIを受けた人がRespectする人だけが、次のインタビュー対象になること

その3:当人に全力の笑顔を写真にとってもらい、記事に掲載させてもらうこと

出来るだけ長く続けて節目に世界のどこかで皆様を招待してリアルにお話してみたいな。と夢見てます。

読者の方には「今日はどんな人が来るんだろう?」と楽しみにして頂けたなら幸いです。

 

今回のゲスト

シルクピースサイクル ゴビ砂漠にて

前回のRobin LewisからのバトンはKay Makishiさんに渡されました。襷企画初の女性へのインタビュー。ドキドキしながらHangoutに繋げば、お互いの居る場所を飛び越えてあっという間にSyncすることが出来ました。

素晴らしい情熱の光を乗せて、その言葉はオンラインでもしっかりと伝わります。そんな彼女のインタビューがこちらになりますので、是非お楽しみ下さい。

 

紹介者から今回の件について、何か聞いていますか?

Robinからは急にFacebookメッセージが送られてきたのみで、それ以外は何も聞いてないですね!いつもお互いに情報交換したりしていますのでRobinらしいと思います!

 

紹介者との出逢いは?

Robinとはピースボートに乗っている時に逢いました。彼は当時ピースボート災害ボランティアセンターの一員として、国連関係のプロジェクトで活動していたんだと思います。

Robinの印象は、そうですね。政府系の短期プロジェクトを行っていたみたいで、アフリカの次世代リーダー育成プログラムなどを実行していた活動的な人だったと記憶してます。 

しもたく:なぜKayさんはそこにいたんですか? 

私自身は「平和」ということが個人的なミッションだと思っていて。どんな活動をするときにでも、世界平和のBig Pictureを描くようにしています。特に、コミュニティビルディングやピースビルディングに興味があり、目の前の一人ひとりの人間関係を築くことが平和に貢献すると思っています。現在は、Oxford大学で近代日本学「経済と政治」といった事を勉強しています。卒業論文には「21世紀における日本の国際化について」を書く予定にしています。

 

それではまず、生い立ちを教えて下さい

オックスフォード大学院

生まれはアメリカのペンシルベニアです。父と母の生まれ育ちは沖縄です。両親と私のお姉さんが5歳の時に、アメリカに家族でいくことになって、家族の中で初めてアメリカで生まれた人になります。

両親は聞いた話だととても苦労していたらしいです。母も父も、もともと普通の日本での英語教育のみだったので、本当に0からスタートしたという感じで、沢山の笑い話や苦労話を聞かされてましたね。

私は生まれてから大学卒業するまではアメリカにいました。我が家ではチャンプル語(日本語と英語、それにウチナーグチ)を使って話をしてました。それこそ、「めんそーれ」とか、そういった言葉ですね

 

今Kayさんがそこにいる理由 〜クリエイティブに生きる〜

ペルーのマチュピチュ3.11南米活動

私のTurning momentはまず、13歳の時にPeople to Peopleという学生大使プログラムに応募してイギリス、アイルランド、ウェールズへ交換留学したことですね。参加費が50万円くらいしたんですが、私は一年間かけてFundraiseをしました。 

しもたく:え?自分でお金を作ったっていうこと? 

はい。折り紙をおって、それを色紙に貼って。右上に自己紹介と理由を書いて、それを隣近所やいろんな人に持って行くんです。Door to Doorで、「こんこん」とノックしてFundraiseしました。

色んな方に「5ドル以上を寄付していただければ鶴をあげます」という話をして、結果50万円を集めることになりました。こういった苦労をしてきたので、他の人達は当然13歳だから親がその資金を払っている感じだったんですけど、イギリスやヨーロッパのプログラムに行った時にとっても満足度を感じましたね。やっぱり自分の力で創ったお金には価値がありました 

しもたく:13歳でFundraisingか…。やっぱりアメリカ育ちは違いますね…。 

多分、父親の血を引いているから何だと思います。とにかくクリエイティブ(何かをするときには必ず面白くする)なことをしよう。と、聞いていたので。父親と一緒に面白いことをしようと。毎週の木金土日は近所を回りまくってました。実際のDoor knockは自分でするので、周り終わったら父親に電話して迎えに来てもらって。という日々でしたね(笑)しもたくさんが言うとおり、アメリカではFundraisingを良くするんですよ。例えば、Pizzaとかパスタのディナーパーティーだったり、ボーリング大会を開催したり。母の日は花を売ったりするのがよく有ることですね。

しもたく:(確かに、起業家で良くレモネード売ってた所から始まる。とか聞いたことあるけど…)凄いですね。 

それがちょうど今から14年前の出来事なんですけど。そのプログラムの時に、実はオックスフォード大学を見学していたんですよね。今、オックスフォード大学院にいるのでなんか縁だなと思いますね。その時から、人と人の繋がりはとても大切だと本当に思っていて。人が一番大事だと思ってます。政治や経済、国際関係も、一番大事なものはやはり人だと思いますし、ミクロに見ていくと結局人が関わっていることなので。

 

今Kayさんがそこにいる理由 Part2 〜It’s all about the people〜 

タジキスタン シルクピースサイクル

2つめのTurning Momentは18歳の時に自分のビジネスをやっていたことですね。高校が4年制だったんですけど、17歳からの時からアルバイトで包丁やナイフの訪問販売をしていたんですよ。多分アメリカにしかない、Direct Salesみたいな感じで。これまた様々な人の家に訪問して、実演訪問販売をする。その後、お客様の口コミで、近所の連絡先を教えてもらって、その場で電話をかけてもらって。「大学費のためにバイトしているんだけど訪問していいですか?」っていう話をしてもらいながら進めるんです。

Salesに興味があったわけではないんですが、卒業して進学するまでの間に、大学生を育成するためのプログラムに入ったんですね。まさにこれがアメリカ的なプログラムで、その人の興味があればどんどん個性を成長させるものだったのでのめり込みました。最初の1年はSales Rep(いわゆる営業マン)をやっていて、次の年はPromoteされてニュージャージー州のBranch Managerをすることになりました。初めて一人暮らしを始めて、自分のオフィスを借りて、秘書を3人雇って、60人の大学生をリクルートして、研修してマネジメントしていたんですね。3ヶ月間のみのプログラムだったので、3ヶ月間経ったあとは今度オフィスをクローズして、近くにいるマネージャーのところに移動させる。みたいなものでした。これが当然なんですけどすごい大変なんですよ。

しもたく:いや、もう聞いただけで大変だってわかります(笑)18ですよね、しかも、その時。 

はい。その中で、一番学んだことは「自分の態度がすべて」だっていうことです。よく有るエピソードに「お金に集中するとビジネスは成功しない」って書かれあると思うんですけど、まさにその通りだと実感することになりました。Sales Marketingの産業は、特に人が中心になって回っているので、やっぱり人ありきだな。と。

最初の1周間〜2週間は、私自身が実費を出して商品も仕入れてますし、オフィスの費用も全部自分持ち出しです。最初の数週間は儲からなくて赤字だったんですよね。銀行口座からどんどんどんどんお金が減っていって、結局大学のローンを使って運用していたんですよ。奨学金でビジネスを始めたといっても過言じゃないです。

しもたく:それはもう聞いているだけでヒリヒリしますね。 

毎日緊張しますし、これはやばいな。早くSales Repを雇って利益を出さなきゃないと行けないなと焦ってしまい、最初の数週間にリクルーティングセッションをやったけど全然うまく行かないんですよね。そういうメンタリティで人に接していくと、誰も来なかった。その時に自分のMentorが言ってくれたことが「絶対にお金を中心にしていてはいけない(It’s all about the people」という言葉でした。そこで決心して、お金がなくても、考え方を変えてみることにしました。人を中心にして人の為になることをやろうと。

自分の経験にも繋がっていたことを、「他の誰かに与えたい」「その人の成長の一つにこの経験がつながっていけば良い」と考えて、本当にそれが一番大事だと思ってやっていったんです。そこから一気にプラスの方向に変わっていきました。

 

今Kayさんがそこにいる理由 Part3 〜人は幸せに、ただ生きたいだけ〜

家系図(沖縄) 

しもたく:自分の力で実践し壁にぶつかりながら、自分に必要な考えを磨いている感がひしひしと伝わってきます。ちなみに何か他のストーリーもありますか?

大学生になった時に、初めて沖縄で1年間留学しました。その時は自分のルーツが沖縄にあるという意識もありましたし、実際に家に家系図があって過去16世までの名前が書いてあったんですね。その本は300ページくらいありまして、その中にいる100人位に逢うことにしました。更に全世界にそういった人たち(私のルーツになる人たち)が散らばっている事がわかったので、一年間ずっと県費の奨学金を頂き沖縄にいたわけなんですが、その恩返しの意味も込めて、プログラムが終わったあとに南米に行きまして。「遠い親戚を探そう」という目的で、南米を3ヶ月間一人旅をすることにしたんですね。

その旅行中に3.11があって。そこからは少し目的を変えて、日本の旗を現地の人に持ってもらいながら笑顔で写真を撮るということを始めました。結果、311人の方に日本の旗を持っている写真を取らせて頂き、母国に持って帰りました。そして、またここでも「人」が大事。国籍、言語は一切関係ない。人はみんな一緒。同じことを求めている。ということに気づきました。それは何か。コミュニティ、家族を大切にすること、健康に生きること。みんな幸せを目指して、ただ生きている。ということです。

普段ニュースで見たり聞いたりしている、世界の戦争の話、ありますよね。国対国で喧嘩するのはやめて、もっと大事な世界で起きてる自然破壊やClimate changeなどが本当に世界の敵なんだと思います。世界で解決するすべき本当の課題ってあると思うんです。安全保障のフレームワークも変えたいし、変えなければならない。世界のリーダーや書かれた論文を読んでみると、皆まだまだとっても古い考え方をしているなと思う。21世紀は、もうかなりGlobal化しているわけだし、「人は敵っていう時代じゃない」と言いたいです。

しもたく:日本では、日本で起きているニュースを流すことが当たり前だし、そもそももっと世界のニュース流して欲しいなと思いますね。また、自然破壊や地球規模の課題について考えることってあんまり無いですよね。少なくとも僕はあまり日常でそんなことを考えることがないです。ところで、その時の旅はどうなりました?

そうですね、旅の続きの話。ご存じかも知れませんが、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ブラジルには日本からの移民が沢山いるんです。その中でも日系人向けの新聞というものがあり、そこで「Crazyなアメリカ人が今ペルーにいる日本人を探しているよ!」という感じで記事を出してみてもらったり(笑)各地にいるマキシ(苗字)さんに電話をしてみて、「親戚じゃないですかー?」という質問をしてみたり。そんなことをしていたら、一人が記事を読んでくれていて、「よかったらウチにおいでよ!」といってくれたんです。それで、実際に行ってみたら親戚だった。という感動的なことがペルーでありました。お逢いした方は、実際に昔に移民した方の息子さんだったんですが、移民当時の白黒の写真を彼が持っていて。それを見させてもらって、当時の色んな話を彼から聞かせてもらうことが出来ました。 

しもたく:南米で親戚に逢う。という目的は無事達成出来たわけですね。ペルーにいる親戚か…想像中々出来ないなぁ。

 

今Kayさんがそこにいる理由 Part4 〜言語や国。壁を乗り越えて初めて大切なことが何かに気づく〜

シルクピースサイクル(キルギスタンでタクシーの看板を道で発見、自転車の飾り。常に、人生を面白くする

しもたく:ところで紹介者のRobinから聞いたんですが、なにやら自転車で旅をしてたらしいですね? 

はい。去年(2015年)の4月〜9月までSilk Peace Cycleというプロジェクトを行っていました。その際のモットーは「5000miles for 5000smiles」(5000マイルを自転車で旅をして5000の笑顔を集める)というもので、それぞれの行先で、ホワイトボードに彼らの母国語で「平和」という看板を持って写真を撮ってもらうというものです。結果的には、いろいろな事情があって、中国からウズベキスタンまでは行けたんですけど、結局半分くらいまで来たのかな。今は2000人弱の写真と2500miles位ですかね。途中、時間切れやビザの問題でイギリスのビザを取得するために、アメリカに帰国する必要があったりしてしまって。 

しもたく:おぉ、これまた凄いプロジェクトですね。旅の目的も凄い良い! 

今年(2016年)の9月1日からまたアゼルバイジャンに戻って続きをやるつもりではいます。最終的には、集まった写真を本にして平和教育のShort Storyにしたいと思っていて。特に子供向けに「冒険精神」を渡すことをMissionにしたいです。日本やアメリカに向けて、中央アジアのあまり良くないニュースばかり流れている気がするので、自分も旅を始める前に不安や怖さを感じることはあったんですけど、何故「怖いという感情を抱くか」というと「知らないから怖がっているんだ」ということが分かったんです。人間もそれでは成長しないし、前に進められないから、こういう色んな国で色んな生き方をしている人がいるんですよ。ということを、一人でも多くの人がそういうことを考えられるものにしたいな。と考えています。

冒険心を持つとContribute(貢献)したいなという気持も湧いてきますし、影響が少しでも与えられるんじゃないかなと思っています。言語もわからないし、大変なこともあったんですが、それこそがこのプロジェクトのポイントだったんです。色んな壁を乗り越えたうえで、「共通の言語は笑顔です」って気づけたことですかね

現地では写真の撮り方も身振り手振りで伝えて。中央アジアでは写真を取るときに笑顔になる習慣がないから苦労しましたし、「そもそも何なんだ!」って思われることのほうが当たり前なので。自分が今まで撮っていた写真を見せながら、ここに来るまでの軌跡を地図上で見せて「こうやってここまで来たんだよー」という話をして納得してもらったり。みんなからは「Crazyだねー」と言われますけどね(笑)

 

今後の生き方について教えてもらえますか?

 

Kayさん:実は個人的なこだわりがあって。「まだやっていないことについてはあまり語りたくない」んですよね(笑) 

ただ、そうですね。お話すると…。

その後もHANGOUTで夜は更けていったとさ。

 

しもたくインタビュー後記 

僕は今回の編集過程の中で、「今後の生き方」を掲載することを自粛することにしました。(意見を尊重したといえばそうですし、また自分の物書きとしての実力がなかったといえばそうです。ただ誤解無きようお伝えするとKayさんはしっかり言葉にしてくれて、沢山の想いがあるんだということだけは事実です。) 

時間にして約30分間、ひたすらにパッションをほとばしらせ、一言一言言葉を選びながら紡いでくれたのでとっても僕の心に響きました。が、言葉としてWebに載せるとどうも今の僕には完璧に表現出来ない気がして辞めることにしました。読者の皆様、ごめんなさい。(どうしても興味がある。聞きたいという方がいらっしゃいましたら、是非しもたくまで一報下さい。拙い言葉で、お答えします。もしくは、彼女に直接聞いてみて下さい。大切なことは、そう「ドアノック」なのです。)

パッションが爆発して、Hangout(オンラインコミュニケーション)でもココまで人間は気持を伝えられるのかとびっくりしたほどです。本当に抱えている考えている課題の規模感が大きくて、普通の人が語ると薄っぺらく聞こえてしまうとこなんですが、現場におりてリアルを大切にしてきたKayさんだからこそ持っている言葉の重みっていうものを実感しました。

インタビューしながらすっごい楽しかったですし、また正直言うと、一番疲れたインタビューでもありました。ありのまま本気で話すことと、話の内容もまた中々真似できないリアル感っていうんですかね。そういうものがあると「人を動かせる」というようにも感じました。

 

皆様、以下のTED動画で有名な Logan LaPlanteさんをご存知でしょうか?

 

この中にも今回インタビューした言葉と全く同じ価値観が出てきます。それは…

「僕らは何になりたいか?」って? いや、「ただ幸せに生きたいだけ」なんだ。

ということです。

Simpleですが明快で、またほとんどの人の望みだとも思います。

個人的にもインタビュー中からふつふつと湧いてきた「旅したい」という感覚は、RealでNatureなものに触れていくと実感する「ただ幸せに生きたいだけ」というピースなフィーリングなんだと思います。 

これからもこういった感覚を大切に生きていきたいと思います。Kayさん、出逢って、インタビューさせてくれて本当にありがとうございました。 

それでは、次回襷企画も是非お楽しみに!!

しもたく